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福岡県の食文化

福岡県(福岡藩)の食文化

調査班:渡邊、中原  調査日:2017年3月16-17日

目次

1. 風土・歴史

2. 調査した郷土食

2.1. 日本酒
2.2. 明太子
2.3. おきゅうと
2.4. 醤油
2.5. その他の郷土食

3. 最後に

1. 風土・歴史                       次へ 目次

 福岡県は日本海側に面する日本の玄関口とされてきました。今回の訪問先がある福岡市は九州を代表する地方都市であり、様々な物が流れ込んできています。福岡県はかつて福岡藩、小倉藩、久留米藩などからなっていました。今回の食文化調査で訪問したのは主に福岡藩でした。福岡藩は武家がとても多く、6000家ほどあったといわれています。福岡藩の多くが福岡平野に含まれているため、高い山なども存在しますが、おおむね平坦であるため、過ごしやすいです。

(中原、渡邊)

2.1. 日本酒                 前へ 次へ 目次

 福岡県を走る2つの鉄道大動脈の駅、西鉄二日市駅とJR二日市駅の丁度中間にある酒蔵。それこそ大賀酒造さんです。

 今回は、大賀酒造の代表取締役である大賀信一郎さんにお話を伺いました。

 まず、お酒の歴史について、お酒は戦争と密接に関係しているということをお話いただきました。お酒は、人が戦場に赴く際に、その士気を高める効果があります。過去に、西郷隆盛が西南戦争に赴く際の前線が福岡だったことから、福岡のお酒は士気高揚に非常に貢献したそうです。これこそ福岡のお酒が有名になったきっかけとも言われています。
(福岡県酒造組合: http://www.fukuoka-sake.org/index.html)

 そんな福岡で最古とされる大賀酒造さんの自慢について話を伺った所、ズバリ井戸水だそうです。大賀酒造さんの井戸水はやや硬水よりの軟水で、まろやかなお酒ができるとのことです。現在でも、新たなお酒が開発され続けており、この特徴的な井戸水と酒造りによって、どのようなお酒が生まれてくるのか楽しみです。

 お酒を仕込む様々な準備を統括する方々を杜氏と呼びます。大賀酒造さんでは、この杜氏のこだわりから、かつて機械を使って行っていた作業を、全て人の手でする作業に戻しているそうです。お酒造りでは、機械では代用できない細かい作業が重要であることが伺えます。

 大賀酒造さんは活動として、敬遠されていた女性が日本酒を飲むということ自体を打破しようと、様々な取り組みも行ってこられたそうです。その甲斐もあってか、現在では女性も日本酒を躊躇なく嗜むことができる日本になってきているような気もします。

 大賀酒造さんというと3月中旬頃に酒蔵開きを行っています。酒蔵開きをはじめたのは2000年からで、はじめた当初から地元の方々が非常に喜んでくれたそうです。私たちも今回、お酒造りの工場を見学させていただきました。酒蔵開きの際は、どなたでも見学できるようなので、みなさまも是非足を運んでいただければと思います。

(渡邊)

<調査協力>

大賀酒造株式会社
福岡県筑紫野市二日市中央4−9−1
http://www.ogashuzo.com/ 

 

 

 

 

2.2. 明太子                 前へ 次へ 目次

 中洲に本店を構える明太子の始祖こそ、株式会社ふくやさんです。
今回は、ふくや網の目コミュニケーション室 室長 宗 寿彦 様にお話を伺いました。

 もともとは明卵漬という韓国のキムチに似た製法でたらこに調理を施したものだったそうです。しかしながら、それは日本人の口には非常に辛いものであり、ふくやさんの創業者が日本人の口にあうように考案し作成したものが明太子でした。ふくやさんの創業者は、明太子の作り方を周りにも教えていたそうです。その影響からか、現在では様々な明太子屋さんが日本国内、特に福岡に多くあります。

 一方で、ふくやさんは明太子の伝統と特徴を今でも守り続けています。
ふくやさんの自慢について伺った所、ずばり、原料のたらこの品質だそうです。他にも美味しさの秘密はあるそうですが、たらこは一級品を扱っており、そのこだわりこそ美味しさの秘訣だそうです。

 ふくやさんは明太子の開祖ですが、福岡のテレビで見る明太子関連のCMでふくやさんはありません。(めんツナかんかんのCMなどは最近よく見ますが…)そんな中、ふくやさんの明太子が福岡県民に周知されている秘訣は、創業からのアツい地元愛なのではないでしょうか。

 ふくやさんの創業者は、明太子の事業で大きく成功しました。しかしながら、大半の事業主が支払を抑えようとする税金を自ら多く支払っていたようです。

 その背景には、我々を育ててくれた日本や福岡にお礼がしたいという思いがあったそうです。税金を通しての還元だけでなく、ふくやさんは地元博多を活性化するために、美術展招致やイベント事への支援を惜しみなく行っています。

 ふくやさんが持っていた地元愛の姿勢こそ、口コミでふくやの明太子が広がった理由なのだろうと実感させられました。

(渡邊)

<調査協力>

株式会社ふくや
福岡県福岡市博多区中洲2−6−10
http://www.fukuya.com/ 

 

 

 

 

2.3. おきゅうと               前へ 次へ 目次

 博多の伝統的食文化として今も愛され続けているおきゅうとは歴史が古く、記録によれば江戸時代に初めて箱崎で作られたそうです。今回、おきゅうとを調べるにあたって、私たちは林隆三商店さんを訪問させていただきました。

 おきゅうとの語源は諸説ありますが、3つの説が有力だと言われています。1つは博多の飢饉を救ったことから「お救人」、1つは沖の人から教えてもらったということから「沖人」、1つは原料がウドのように成長が早く、収穫のタイミングが重要なため「沖独活」とされるものです。その材料はエゴ草とイギスからなります。エゴ草は日本海側のみからとれ、林隆三商店さんは佐渡島のものを使っていて、産地にまでこだわることでおいしさを維持しています。また、製造方法もこだわっています。まず、原料のエゴ草を天日に干します。その後洗って干し、また水に浸けてさらに干します。次に、材料を洗ってから30分ほど水に浸して大釜で煮込みます。煮込みが終わったら、裏ごしする器に移し、裏ごしします。そして、裏ごしした材料を機械で成形し、冷やして固めます。最後に、成形して固まったおきゅうとをパッケージします。

 製造の過程で、様々な工夫もなされていました。素材本来の味を残して美味しく食べるため、おこげが入る直火で煮るという伝統的な製法を今でも続けていました。また、薄く広がっているおきゅうとを作るためにおきゅうとを成形する機械を導入していました。このような、より多くの消費者がおきゅうとを美味しく食べられるような工夫や努力を間近で見ることができました。

   

 

 しかし、そんなおきゅうとも少しずつ消費量が減少しており、現在ではおきゅうとのみで生計を立てているお店は3店舗しかないそうです。そのような中で、伝統を絶やさぬように、少しでも多くの人におきゅうとを知ってもらうために講演会や、小学校での講演、試食会など様々な活動が精力的に行われています。おきゅうとは食べ方も様々であり、醬油をかけて食べたり、サラダの上のトッピングなどがあります。おすすめはポン酢をかけて食べることだそうです。私もお土産におきゅうとを頂いたので、ポン酢をかけて食べてみました!ポン酢の風味とおきゅうとの香りが見事に合い、とても美味しかったです。

(中原)

<調査協力>

箱崎おきゅうと 林隆三商店
福岡県福岡市東区箱崎2-13-5
http://www.okyuto.com/

 

 

 

 

2.4. 醤油                  前へ 次へ 目次

 今回、博多の醬油を調べるにあたって、私たちはゑびす醤油さんにお話を伺いました。ゑびす醤油さんは大賀酒造さんの向かい側にあります。

 ゑびす醤油さんは明治10年に創業されました。創業以来ずっと変わらない九州独特の甘い味で太宰府を中心に親しまれ、創業以来の味付け、伝統を守っています。ではなぜ九州の醬油は甘いのでしょうか。江戸時代、日本は砂糖を長崎で輸入し、江戸まで運んでいました。そのため当時は砂糖が高級品でしたが北部九州では容易に手に入りました。またその頃、長崎では遠洋漁業が盛んで、調味料として長持ちする醤油を持って行ったと言われています。そのためこの醤油に砂糖で味付けしてみたのが九州の甘口醤油の始まりと言われています。醤油は全国的に作られていますが、地域ごとに味が異なります。関東の醤油はこいくちであり、大豆と小麦を50%ずつ混ぜ6か月熟成したものです。一方関西の醬油はそれを3か月熟成させるため塩分が高いです。名古屋の醬油は大豆90%、小麦10%を混ぜていてうまみが強く色が濃いと言われています。この他にも食材の色を出すしろ醤油、二段仕込みによりうまみを多くした、再仕込み醬油などがあります。

 また、製造工程も多くの過程を経ています。蒸した大豆と炒った小麦を混合し、種麹を加えて麹を作り、そこへ食塩水、日本麹カビと呼ばれるAspergillus oryzaeを 加え仕込んで3日寝かせ「諸味」を造っていきます。
 タンクで6ヶ月間寝かせた後は、搾りや、中の菌を失活させ醤油の香り・色を管理する火入れ、清澄、濾過などの過程を経て、熟成された醤油が完成します。

 現在では塩ドレッシング「しおどれ」や減塩醬油など、時代の流れとともに消費者に合った商品を出し続けており、近年核家族化などで家族揃っての食事、会話が減っていることを考え、食卓で会話のタネに、そして楽しんでもらえればとの思いがあるそうです。
 また、お土産としてお醤油と塩ドレッシングを頂きました!お醤油は大根おろしとともに、塩ドレッシングはサラダにかけて食べました。大根おろしの酸っぱさと醤油の甘さがマッチしてとても美味しかったです!

(中原)

<調査協力>

ゑびす醤油株式会社
福岡県筑紫野市二日市中央4丁目8-15
http://www.ebisusyouyu.com/

 

 

 

 

2.5. その他の郷土食             前へ 次へ 目次

私たちが福岡を訪れた際、晩御飯に福岡特有とされる食を堪能しました。それらを紹介します。

● 胡麻鯖

福岡県の郷土料理の一つです。味は、潤いがあり、生の青魚特有の血生臭さもありあません。普通は、酢でしめて食する鯖ですが、日本海側の鯖は、太平洋側の鯖に比べ、寄生虫であるアニサキスが身の方へと移動しないため、美味しく生で味わえます。

● モツ鍋

モツ鍋は福岡県の郷土料理です。ホルモンの語源を知らない人もいるでしょうが、ホルモンとは、昔、牛の肉で捨てる場所という意味が語源です。博多弁で「捨てる」は「ほおる」で、「物」は「もん」というため、「捨てるもの」すなわち「ほるもん(ほおるもん)」と呼ばれるようになり、日本全国に広まっています。モツ鍋に使われているモツは新鮮なので、脂が雪のようにモツや野菜にまとわりついています。そこにスープの味も染み込んでおり、美味です。 とくに、火で水が飛んで、スープが濃ゆくなってクリーミーになり美味かったです。

● 筑前煮(がめに)

名前の通り、福岡県筑前から発祥した郷土料理です。博多弁の「がめくりこむ」という「何でも集めて入れる」という語源から、「がめに」と呼ばれます。筑前煮(がめに)は、主に根菜と鶏肉が入っており、それを甘辛い醤油ベースのダシ汁で煮込んだものです。福岡県は、ごぼうと鶏肉の消費量が日本一であり、それらも入っています。味は、砂糖醤油のだし汁に鳥の味も染み込んでおり非常に美味しかったです。こんにゃくや、さやえんどうなど様々な食感を楽しめるのも醍醐味です。

(渡邊)

3. 最後に                   前へ     目次

今回の食文化調査を通して、福岡の色について、地元民である私ですら知らないことが多くあることに驚かされました。おきゅうとや明太子など姿や名前は知ってはいたものの、生まれた経緯については全く知りませんでした。さらに、私の地元である有名な大賀酒造さんとエビス醤油さんにも話を聞きに伺い、私が昔から知っていた場所が作っているお酒や醤油のエピソードも聞くことができました。(渡邊)

今回の食文化調査では、はじめは福岡といえば明太子というイメージしかありませんでしたが、調査を進めていくと、福岡には様々な郷土料理や食材があることを知りました。
実際に調査に行ってみると、林隆三商店さんも、ゑびす醤油さんも伝統を絶やさないために地域に密着して日々努力を積み重ねているのだと感じました。
そして、突然の訪問にもかかわらず、私たちを温かく受け入れてくださった林隆三商店さん、ゑびす醤油さんに心から感謝いたします。(中原)

 

 参考資料

・福岡県酒造組合: http://www.fukuoka-sake.org/index.html

 

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